モノがありすぎて溢れている情報大航海時代では、貧乏人が強いよって話
先日、友人にこのようなご指摘を受けた。
「おまえって、レストランとかデートする場所選ぶの得意よな〜」
得意ってなんやねん笑。
友人曰く、今の人は物を選ぶことに難しさを感じる人が多いという。
その理由は、優柔不断な性格な人が多いわけではなく、ありとあらゆるモノが多すぎるからだということだ。
なるほど。
何かを選ぶ場合、無限に等しい母数の中から一つだけ無作為に選ぶことは簡単だ。
買い物とは、身銭を切って商品を得る行為だ。何かの判断基準があって、その条件を満たしてはじめて購入するという決断ができる。
服を選ぶことは、人によってはものすごく時間がかかる。だからこそ女のショッピングデートには絶対についていきたくない。
それは、何を買いたいか?という軸がはっきりしていないことも大きな理由だ。
モノで満たされている今をどのように僕たちは生きていくべきか、考えていこうと思う。
情報のシャワーの水圧に仰け反る人たち
インターネットが僕たちの生活から仕事まで、ありとあらゆるものを変えた。いつでもどこでも場所を問わず、情報にアクセス出来るようになった。
それと同時に、僕たちは不必要な情報のシャワーを浴びている。
例えば、僕が石原さ〇みさんの3分前のツイートを見たいとする。
その情報を辿るまでには、必要としない人のTwitterのどうでもいい情報を視界に入れなければならない。
Googleの検索でも同じことがいえる。検索精度の向上によりまだマシになったが、自分の知りたい情報を手に入れるためには時間がかかる。
星の数ほどあるゴミみたいな情報の海の中に眠る情報を、自分でクロールして見つけないといけない。
気が遠くなるような話である。
そんな情報大航海時代に、船を持った人々が現れた。
必要な情報の近くまで寄せてくれる人たち
情報の海を安全に航海する船を持つ人達にも、2種類ある。
- 選択肢を与える人たち
- 答えを一緒に考える人たち
1. 選択肢を与える人たち
結論から言うと、会社がやってるようなキュレーションサイトではなく、個人でやっているブロガーやYouTuberだ。
彼らは、個人だ。組織の論理に必ずしも従わなくてもいい。
組織は政治的な理由で、本当のことを公にしないことがある。
そんな胡散臭いプレイヤーばかりの勢力図だからこそ、真実を語ることが出来る個人は強い。
その人達の活躍により、僕たちは正しい情報と間違った情報を天秤にかけることが出来る。
個人が言論の自由を手にし、人々の悩みの種を解決する。そんな世の中が実現しつつあるのだ。
2. 答えを一緒に考える人たち
あなたは旅行をする時、どんなプランで行こうか頭を悩ませるだろう。
ふるさとへ行くわけではないため、たいてい現地の情報を知らない人が多いのではないだろうか。
故に、そこにビジネスチャンスを見出す人たちが居る。例えば、旅行代理店だ。
旅行プランなんて、インターネットであらかた調べて、ざっくり予定を立てたらいいと僕は思ってしまう。
だが情報が多すぎて、その情報を信用しきれない人が一定数居る。その大したことない情報に対して責任持って説明してほしいがために、旅行プランを代理店から買うのだ。
いくら、自分が欲しい情報までの道筋を照らしてくれる人たちがいたとしても、最後に決断する人は誰でもない自分だ。
その自分を信用できなければ、他人に責任を負ってもらうのである。
貧乏人がモノ選びに強い理由
モノを買ったり選ぶ時に確固たる判断基準があれば、惑わされずに決断できる。
カネを持っていたり、何に幾らかけていいか判断がつかな人は、まだマシだ。
なぜなら、そのような人たちは自分が悩んでいることについて、店員さんや専門の人に相談を持ちかけるからだ。
そうして、場合によっては相談相手の売りたいものを買わされてしまうこともある。
1番まずいのは、中途半端に対象のモノに対する知識がある人だ。その知識の層が微妙であるが故に、判断が下せない。
いい面も悪い面も少しずつ知っているから、かえって逆効果である。
だが此処に於いて貧乏人は強い。
モノを選ぶ基準の中に、常にカネの上限が決まっている。限られた資金の中で、自分の求める最高なモノを選べばいいだけだ。
普段から、カネに見合った費用対効果予想をする習慣をつけることができれば、モノの価値を自分のものさしで測ることができる。
自分の中で一つ、この軸ができると他人に惑わされることなく、自分が欲しいものを手に入れる道筋が立つはずだ。
今回は、友人との何気もない会話から浮かんだ疑問を考察した。
以前考えた服の選び方でも、モテるためのフレームワークを利用することにより、ほぼ思考停止状態で服を買うことができると紹介致した。
その思想を一歩深く掘った話をした次第だ。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.