貧乏人の特徴。世間一般的な印象としては「金に困っている。」だ。間違っていない。僕のことだ。
ひょっとしたら、女にも困っているタイプの貧乏人もいるかも知れない。だが今日は女修行の話じゃなくて、カネの話。
カネのない貧乏人が、貧乏人を抜け出すために必要なこと。
それは、カネに困らない状況を作り出すことが大切だということは自明だ。
だが、それがどうやら難しいようだ。
僕もそう思う。
銅を溶かして金型に注いで貨幣を鋳造することは犯罪だし、銀行の金庫に眠っている紙幣を頂戴することも犯罪だ。
カネを得る方法にもルールがある。
やって良いことは具体的に記載されているわけでなはいが、やっていけないことは法律で決まっている。
そのルールの中でカネを得る方法を考える必要がある。
それにカネって何なのか、僕もよく考えたことはなかった。
今でこそ、金に関する著書が街の本屋さんやネットの熱帯雨林に並んでいる。
それを読んで理解できる地頭のいい人もいれば、そうでない人もいる。僕はどちらかと言うと後者である。
ある強烈な体験が、僕にカネの正体を教えてくれた。
ネットワークビジネス
若かりし頃の僕は、”び じ ね す”という言葉がグサグサ刺さっていた。
アルバイトに時間を割かずに、ずっとダラダラしていたいと思っており、自分でビジネスをしたら良いとだけぼんやり考えていた。
その割に何も手をつけないタイプの若造だった。
そこに刺客が現れる。ネットワークビジネスである。
人に商品を紹介することで、その紹介料をマージンとして貰う。
加えて、商品を売る人を増やすことができれば、マージンを再び上乗せされる。
要は、営業で引っ掛けた分だけ、カネが入る仕組みだ。
脳死の僕は勇気を振り絞って、その誘いに乗った。自分でカネを稼いで、カネに困らない人生を歩もうと思った次第だ。
そして僕の初の営業先は、サークルの先輩だ。初心者営業マンあるあるで、身内から攻めるやつ。
結果は、想像通り売ることができなかった。
その上、すごく叱られた。その理由は、僕にナメられていると思ったからだという。
ねずみ講を引っ掛けられるような安い人間と見られていたこと
その先輩に僕は、2年程お世話になっていた。後輩思いで、よく飲みに連れて行ってくれた。
結構仲は良かった。だからこそ、いい話を先輩に提供したかった。悪い話などないと思っていたのだ。
そこで先輩はまあまあ激怒した。
僕にそんな安く見積もられているとは思わなかったそうだ。煮えたぎる怒りと同時に辛辣な感情がその場を駆け巡った。
1周回って叱られた後、先輩にあることを教わった。
先輩に教わったこと
モノを売る商売が営業だとすれば、ネットワークビジネスは人を売る商売だということ。
人が人を紹介することで、カネは入る。ただ、そこに善意があるかどうかは別だ。
僕はどちらかと言うと先輩にこの話を持ちかけることが善意だと思っていたが、今思えばあれは善意ではない。人を売ってカネを得るためにやろうとしていたのだ。
そして、カネを得る代わりに信用を失う。
例えば、先輩にネットワークビジネスを勧めて僕がマージンを得るとしよう。その時点でまず、僕しか利益を手にしない。
その先輩は、また違う誰かにネットワークビジネスを薦めることではじめて利益を得る。
そう。この時点で格差のある上下関係が発生する。現実世界では、先輩が目上の存在で僕が後輩というポジションだ。
今までその上下関係のもと築き上がった信頼関係が、一瞬で崩れ去る。
先輩からしたら、後輩としての僕を好きだったはずだ。
その関係を一方的に、しかもカネ目的で崩そうとしているのだから、憤慨することも無理はない。
同時に、僕も先輩との関係が崩れることを恐れた。そこまでしてカネを手にしたいのかと。
先輩との関係はカネでは買えないことに初めて気付いた。
その先輩との関係を続ければ、カネを生むことができるかもしれない。
自分が餓死しそうだったら、一時的に助けてくれるかもしれない。
ちょっとピリッとした体験だったが、僕はあれ以来足を洗った。(足が汚れるようなことをやる前にやめた。)
人生で初めて、クーリングオフ制度を利用した。
今まで、叱ってくれる人は親か先生しかいなかった。
当たり前である。仕事の間柄でもなければ、血も繋がっていない人を叱ることほど無駄なことはない。
だが、僕に先輩は叱ってくれた。この事実をどう受け止めるかは僕次第だが、本当に叱って頂き感謝している。
まだまだ僕は貧乏人だし、自分一人で生きていくことで精一杯だ。
だけど、自分にとって大切な人の過ちを、本気で叱ることができるような人間で居続けたいと心から思う。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.