先日、お盆ということで帰省をした。
今、僕は家を出てひとり暮らしをしているため実家への挨拶も兼ねての帰省だ。
久々のクソ田舎の地に降り立ち、お墓参りをする中で自分のルーツに想いを馳せた。
今まで自分が生きてきた軌跡や、お世話になった人、迷惑をかけた人。
家族はもちろんだが、僕にとって2人の祖父母の影響は大きかった。
僕には尊敬できるおじいちゃんと、尊敬できないおじいちゃんがいる。
今此の年になり、二人の祖父の生き方を多少なりとも客観視できるようになったと思う。
その上で、全く異なる2人のお爺ちゃんの人生について比較しようと思う。
一人目のお爺ちゃん。
生まれたばかりの頃から、冷徹なお爺ちゃんは僕は苦手だった。
理由は、いつも祖母と喧嘩していたからだ。
本当に些細なことから、全く理解ができないようなことまで喧嘩の火種は尽きることなく、時間さえあれば祖母に罵詈雑言吐いていた。
時には手を上げて、祖母を傷つけた。
そんな冷徹なお爺ちゃんは厳しかった。とにかく厳しかった。
家族に対しても冷徹で、トイレ電気を消し忘れればトイレの電気の配線を切られ、玄関の引き戸が開けっ放しだと扉が開かないようなからくりを仕掛けた。
今考えてもよくわからないのだが、冷徹なお爺ちゃんは誰に対しても容赦はなかった。
そんなお爺ちゃんは友達がいない。というか、祖母以外と会話している姿は僕の記憶の限りだと見たことがない。
どこか旅行へ出かけていた見覚えもない。
ただひたすらに、畑仕事に精を出す仕事人としての冷徹お爺ちゃんしか記憶にない。
そういう人なのだ。
人とのつながりを徹底的に排除し、いい意味でも悪い意味でも自分本位に生きていく。まるで手のつけようのないジャイアンのようだ。
僕が実家に帰ると少しは喜んでくれるようだが、表情は固く、感情の表現が下手くそに見える。
これが一人目のお爺ちゃんだ。
2人目のおじいちゃん。
お盆や正月になると、僕は会いたくて仕方なかった。
美味しいものや新しいものに目がなくて、いろんな会話の引き出しを持っている温もりのお爺ちゃん。
近所付き合いはもちろん、家族との関係や僕たち孫とのコミュニケーション。そして、仕事の人間関係すらフラットだった。
もちろん、僕たちが悪いことをしたときは鬼の仮面を被って叱ってくれた。
暴力を振るうことなんて絶対にないし、できるだけ話し合いで解決しようと努めていたし、なぜ問題が起きたのかを徹底的に考える人でもあった。
これが2人目のお爺ちゃんだ。
二人のお爺ちゃんは、どちらも自分の仕事をしているし、今までも身を労してきた事実を僕は知っている。
だが僕は家族として見ても、一人の人として見ても、二人の祖父の生き方に関しては天と地の差があると思った。
冷徹なお爺ちゃんはわからないが、少なからず温もりのお爺ちゃんは今の人生に不満を抱いていないだろう。
温もりのお爺ちゃんの周りには、いつも人がいた。
冷徹なお爺ちゃんの周りには、人がいなかった。
温もりのお爺ちゃんは、よく人と食事を楽しんでいた。
冷徹なお爺ちゃんは、ずっと家で殺伐とした空気の中で食事をとっていた。
そんな二人の祖父を見ていて、僕たちにとっての幸せとはなんだろうかと考えるようになった。
生きていることが幸せと感じる人もいれば、美味しいものを食べることが幸せと思う人もいる。
幸せの定義は人によって異なるだろうし、自分なりの幸せのかたちを考えて生きていくことが望ましいと思う。
だが、万人に共通して訪れるものがある。
老いだ。肌はヨボヨボになり、筋肉量も落ちていく。その大きな流れに逆らうことはできない。
であるならば、困った人のために尽力し、自分が困った時には人を頼ることが理想ではないだろうか。
温もりのお爺ちゃんは、きっと地道に他人との信頼を築いて来たのだろう。
今は色んな人に支えられて生きている。そのおかげもあってか、定年退職をした後でも、楽しそうに暮らしている。
冷徹なお爺ちゃんはちょっともう手遅れなのかもしれない。
今から人と信頼を築くことは時間的な制約が邪魔をするだろう。
肉親である僕ですら、今から仲良くやろうなんて言われても、今更すぎるところがある。
番のお爺ちゃんを見ててわかったことは、仕事は人を長生きさせるということだ。
脳のレベルはわからないにしても、ふたりとも体はピンピンしている。一応、介護が必要のないレベルで生きている。
僕も齢を重ねていくごとに、おじさんになっていくし、いずれお爺ちゃんになっていくだろう。
「どんなお爺ちゃんになりたいのか」自分の中でイメージするいいきっかけになった。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.