僕は、田舎から都会に出て、車を手放した。そして今は、ゴリゴリの自転車Userだ。(最近は専ら徒歩がが多いが)
日頃のちょっとした買い物は、基本的に自転車を使って済ましている。
そして先日、僕は事故に遭遇した。
若気が至りまくりの高校生に激突されたのである。
お互い怪我はなく、損傷したのは僕のボロ安いMy Machineだけ。
高校生と対面で話すことなんて久々で、状況が状況である。
彼は加害者であるから動揺していたが、その動揺っぷりが尋常じゃなかった。
あまりにも慌てふためいていたため、その理由が気になった。
今回は想定外のことが起きてしまったときに、人がどういう反応をとるのか、とるべきかを考える。
事故当時、高校生くんはずっと
「最悪だ。ヤバイ。。」
と嘆いていた。
まるで、この世の終わりを迎えたのような顔をして、今にも泣き出しそうだった。
僕からすると、お互い怪我もなくて穏便に事を終えることができそうだったので、むしろ事故にしては良いほうだと思っていた次第である。
しかし高校生くんは、一向に僕の話に耳を傾けてくれない。
「ヤバイ」という感情に脳が支配されて、今何をするべきなのか自分の頭で考えることができなくなっているのだ。
僕も高校生くんのパニックに付き合えるほどヒマじゃないため、連絡先等諸々聞き出して、テキストベースでやり取りすることにした。
高校生ボーイが支配されていた「ヤバイ」の感情を分析すると、大きく分けて2つの要因があるように見えた。
1つ目は、「悪いこと」をしてしまった自分を許せない心。2つ目は、親に見せる顔がないという心情。
そもそも、此の事故は僕にも非があるし、況や高校生ボーイをや。どちらも悪い点があった。
僕の非は、曲がり角で一時停止しなかったこと。彼の非はイヤホンをしながら携帯を触って運転をしていたこと。
どう言い訳をしたところで、悪いことをしてしまった事実は変わらない。
加えて、僕のBicycleがひん曲がってしまった結果も変わらない。。
悪いことをしてしまった自分を許せない気持ちはもちろんあるが、その感情に取り乱され続けていては、何も事は進まない。
であるならば、次回そうならないために思考と気持ちを向けるべきだろう。
彼は高校生。自分が未成年だということをすごく気にしていた。
そこで僕は、興味本位で彼に選択肢を与えた。
個人的に、今目の前に居る高校生が経験値として対人の折衝経験を積む気があるのならば、この目で見届けたいと思った。
そして、彼が下した結論は後者であった。
まあ自分が高校生だったときに、顔面バイオハザードのお兄さんにこんな質問されたら、僕もどんな答えを出したかはわからない。
しかし、彼は親を通じてことの顛末を見届けることを選んだ。
これが、現代の高校生なのだと実感した。
自転車で事故を起こしたり、ひょっとしたら人様に迷惑をかけてしまうような事をしてしまうかも知れない。
それは決して許されることではない可能性もあるが、起きてしまった過去を覆すことはできない。
起こしてしまった過去を反省することは大切だ。だが、最も大切なことは反省する時間の量ではなく、次同じことを繰り返さないことだ。
負けは負けで認めて、今後そうならないようにするための方法を考えるための時間を十分に充てることが大切なことだと僕は考える。
ヒトは完璧な人間ではない。プログラマとして仕事に従事していて相当思うことがある。
同じことをヒトにやらせるのとプログラムに任せることに関して、結果に対する精度は圧倒的にコンピュータのほうが上だ。
コンピュータにはヒューマンエラーは存在しない。
だが、「改善」や「+α」はコンピュータには難しい。自分以外の第三者が気持ちよく思うであろう事を、推測して行動に移すことは現時点では難しいと思う。
だからこそヒトとして、反省して改善する努力を怠ってはいけない。
話がだいぶそれてしまったが、僕は自分で何かを解決しようとする経験をしてほしかったのかも知れない。
おせっかいおじさんかもしれないが、親に頼れるのも永遠じゃない。
いつかは、自分ですべての問題を解決しなければならない時が来るだろう。
そうなる前に1つでもいいから、体験してほしいなと思った次第である。結果的に負けても良いんだ。負けた数だけ、良い負け方と悪い負け方がある。
人生生きていたら、勝つことばかりではない。もちろん負けのほうが多い場合もある。その場合に、上手く負けと付き合って明日を迎えられるようなヒトであったほうが良いと思う。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.