日本企業の特徴として、新卒一括採用という企業文化がある。
高校や大学を卒業する日本の大学生に焦点を当てて、彼らが卒業するタイミングから逆算して企業側が採用活動をする。
求職者である就職活動生においては、スタートのゴングがなったと同時に大手リクルーティングサービスの門戸を開き、会社説明会の予約をぽちぽちとするわけでありますな。
そんな就職活動を経験して、社会人になった僕だが、入社して1年も経たないうちに退職のカードを切った。
これは完全に、僕と企業のミスマッチから起きた。
僕自身も自分のことがわかっていなかったし、企業側としても僕のことをわかっていなかったのだろう。
僕自身の経験を踏まえて、就職活動と新卒一括採用について考える。
僕は高校ではなく、大学生の時に新卒一括採用の波に乗った。
この時期になると、女は紙を漆黒に染め上げ、男は髪の毛から顔周りの清潔感を正す。
そして、社会人と同じようにスーツを纏い、勤め人の根城であるビルに伺う。
周りの人と足並みを揃えて企業説明会に足を運び、新卒採用のポジショントークを聞く。
学校側も、なぜかこの風潮に学生を乗せようと面接対策セミナーや、エントリーシート添削サービス窓口などを設ける。
本来は自分の意志で就職するという決断を下すはずなのだが、「大学を卒業したあとの埋め合わせ」として就職先を決めるような流れだ。
それはまるで、義務教育のように次のステージが決められているかのようだ。だが実際はどうなのか。
就職しなければならないかどうかは、各家庭の問題だ。学校側がとやかく言うことではないし、友達が就職活動をしているからと言って無理に自分も合わせるようなことではない。
だが、大学には「就活シーズン」なるものが慣習化されていることは事実として存在する。
特に、文系就活生の採用面接がめちゃくちゃ滑稽である。
採用担当者は、学生のパーソナリティや今までの生き方や話し方、振る舞いなどを鑑みて、次の選考に繋げるかを見極める。
学生側は内定を手にするために、巧妙に自身にレバレッジを掛けた「自己PR」並びに「志望動機」を準備する。
そう。これは、正直者が馬鹿を見るようなライアーゲームなのだ。
やってもいない経験を、いかにもそれらしく語る就活生もいれば、絶妙に少しだけ背伸びをして自身の体験談を盛る就活生もいる。
そのライアーゲームを何度も勝ち抜いた人が、大企業の内定を手にすることができるのである。
各企業のコーポレートサイトには、就職活動をしている大学生向けに募集要項や選考スケジュールを後悔する大企業は少なくない。
だが、この裏で何が起きているのかはベールに包まれている。
僕の経験談としては、大企業の内定を取得するまではかなりの手順を踏まねばならない。
かつて受けた大企業の一つは、選考自体は面接が3回だった。
だが、大学OBの座談会という名の個人面接が1次面接までに5回ほど存在した。OBにこの機会の意味を伺うと、この座談会を突破しないことには1次面接に呼ばれることはないという。
内容としては大学OBがその大企業の面接に受かるように御指導、御鞭撻をして頂くものだ。これでは、その他の大学生がどれだけ頑張っても受かることは難しいわけである。
僕はそこで、大企業の嘘を知った。
こんな嘘にまみれた日本の新卒採用の汚点を考慮しても、僕は日本の採用方針は素晴らしいと考えている。
具体的には、誰でも、どんな業界にでも挑戦できるからだ。
例えば、僕は文系出身だがエンジニアとして今働くことができている。こんな僕みたいな素人に、エンジニアとして育ててくれた会社が、この自由資本主義市場に存在したということだ。
日本の企業は、自前で社員を育てることを厭わない特徴があると考えられる。
企業側が大学の教育を信用していないのか、あるいは独自の専門性を教育したいのかそれは会社によってまちまちだろうが、社員を1から教育する企業の数は枚挙に遑がない。
自分がやったことのない分野への挑戦をしながら、給料を頂いて食いつないでいくことが出来る。
第一のキャリアで失敗したとしても、第二のキャリアでやり直しが効くこの日本は、とても幸せな国ではないだろうか。
僕もこの日本で就職できて、本当に良かったと思っている。
新卒のキャリアで恥ずかしながら失敗したが、第二新卒のキャリアで今の職と出会い、やっていこうと決意できたからだ。
実際のところ、自分の身体を張って働いてみないと本当に合っている職業かどうかは分かり兼ねる。
やりたくないことを我慢し続けることも人生。1から初心に帰って、突き進むも人生だ。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.