久々に、旧来の友人との再会を果たした。
無精髭を生やし、真紅の差し色が入ったヘッドホンを首にかけている。
大好きなタバコをを燻らしながら、大きな体を1歩ずつ支えながら歩いてくる。
いつぶりだろうか。彼はちゃんと生きていたようだ。
もちろん半袖半パンのビーサンでのお出ましである。
僕と同い年だが、これから大きな挑戦をすると誇らしげに語る。
人の人生を見て学ぶ事はある。
教訓になるかもしれないし、教養になるかもしれない。興味本位ではあるが、彼の人生を紐解く。
もともと彼は、どちらかというと裕福な家庭で育った。
大きな一軒家の屋根の下で、お硬い職業のご両親に厳しくも優しく教育されたようだった。
これはあくまでも僕の推測なのだが、彼は途中まで両親の顔を伺いながら生きていたのではないだろうか。
そんな彼の人生は、彼の両親が期待したであろう人生は、高専に入ってから揺らぎ始める。
大学受験を避けるために、彼は高専の愛称でお馴染みの高等専門学校を受験した。
就職先は、名だたる大企業が連ねていて、肉親を安心させることが出来る。そしてその肉親も、実の息子が高専に入学したとなれば鼻高々である。
高専から大学に進学するにしても、僕が大学受験時に採用した「男は黙ってガリガリ勉強」戦略を行わなくても、編入試験のカードを切ることができる。
普通に会社員になるキャリアとしては、いいポジションだろう。
高専では、専門にウェイトを傾けた教養と実習を受けることができる。
つまり、専門ではない国語や社会科を真剣に学ばなくても良いカリキュラムが組み込まれているのだ。
自分の専門性へのコミットメントが強ければ、その道が開けるというわけだ。
結果的に、彼は高専への切符を手にした。
そして、いつの間にか中退していた。
高専はメリットがたくさんある反面、幾つか気をつけなければならない点がある。
高専の生徒で居続けることの難しさがここにある。
周りの友人が通う高校のような、かったるい校則や補修がない半面、自律できないと卒業は愚か進級することですら難しい。
ようは、毎日が自分との戦いである。
また、理系分野への好奇心がなければ地獄を味わうことになる。
彼はこのマッチングが適しておらず、高専生として生きていくことが難しくなった。そして文系課程の専攻に鞍替えする文転をするべくして、大学受験を始めたそうだ。
あれだけ嫌がっていた大学受験をする決意を彼は下した。
予備校に通い、まあまあなレベルの私立大学へ入学した。
ご両親は納得したそうだ。
彼は文系のほうがあっていたのかもしれない。
政治経済を学びたいとか胸を張って言っていたが、蓋を開けてみれば真面目にバイトばかりしていた。
特に営業系のアルバイトである。
インターネットを売る会社の成果報酬型の仕事や、華々しい夜の世界のしごとに熱心に打ち込んだりするうちに、学校に行く意義が薄れたそうだ。
結果、2度目の中退の道を選んだ。
彼が選んだ道は、夜の世界で一旗挙げること。
ご両親とは想像を絶する戦いがあったそうだ。
当たり前だ。
予備校に通わせ、ばか高い私立大学の学費、ひとり暮らしの費用までも面倒を見てもらっていたのだ。
彼がやろうとしていることは、世間的に明るくないこともあり、お硬い職業のご両親を完全に納得させることはできなかったそうだ。
そのかわり、今まで掛けて頂いたカネ(延べ250万円)を返すと誓って漢を見せたという。
僕はその話を聞いて、思ったことがある。
ご飯を食べていくことが人としての人生だとすると、自分の人生とはなんだろうか。
僕なりの回答としては、自分が志す道で、名乗りをあげて生きていくことだと思う。
それがサラリーマンという形を使う場合もあるし、自分の仕事を通じて成し遂げる場合もある。
大事なことは、自分で選択して決断すること。
彼は2回中退して初めて、この決断を下すことができた。
久々に会った彼は、借金を背負っているにもかかわらず、清々しい顔をしていた。
本当に自分の人生を歩みだしたのだなと確信したと同時に、背水の陣を敷いた彼のこれからを楽しみになった。
僕の好きな詞の一つを紹介しよう。
わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。
引用:金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」
僕は新卒早々にして退職をしているし、彼は2回中退をしている。それでも確実に自分の人生を歩んでいる。
他人ではなく、自分の人生を歩もうと必死になっている。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.