眼の前にあるモノが正しいかそうでないか。
それを判断することは困難を極める。
というのも、そもそも疑いの目を持たなければ疑うことなどできないからだ。
普段食べている豆腐には植物性蛋白質が含まれていることは、常識として僕たちのデータベースに記録されている。
そのデータが「本当に正しいのか?」なんて疑うことなど、なかなかできるものではない。
リテラシーを身につけよ!とはよくいわれるが、どのようにリテラシーを磨けばよいのだろうか。
物事の成否を測る方法。
算数や数学の答えの如く、十全十美の解が存在し、解を照らし合わせられる問など、世の中には少ない。
ただでさえ、日本語は世界的に見ても難易度が高い言語のひとつであるのに、時としてまったく異なるの意味を成す時がある。
その例のひとつが、「破天荒」だ。
ここでひとつ、この記事を読んで頂いている読者様に尋ねたい。
「破天荒」という言葉から連想されるイメージは、プラスかマイナスどちらだろうか。
破天荒とは故事成語で、読み下しは「天荒を破る」である。
嘗ての中国では、「科挙」と呼ばれる国家公務員試験があった。誰にでも受験する資格はあるが難易度は鬼。であったという。
超絶難易度だったからこそ、科挙に合格しやすい地域とそうでない地域が分断され、後者は「天荒」と揶揄された。
その沈黙を、天荒を打ち破った人が現れたことで「天荒を破った」と伝えられた。
そして、破天荒は以下の意味で捉えられるようになったのである。
・今まで人がなし得なかったことを初めて行うこと
・前人未到の境地を切り開くこと
とてもcoolでカッコいい言葉である。
さっきの問いであるが、「破天荒」の言葉についてマイナスなイメージを持っている人がかなり多い。
▲ 文化庁 – 平成20年度「国語に関する世論調査」の結果について
「破」「天」「荒」
どれも強そうな感じで組み合わされていて豪快で大胆な様子という印象を想定してしまうことは無理もない。
他には切磋琢磨という言葉。
この四字熟語がまさか故事成語だとは知らず、漫画「ワンピース」ワンピースのように
仲間同士で戒め合う、
また励まし合ったり競い合ったりして
学問や道徳心を磨くこと
の意味だと完全に思い込んでいた。
こちらは、サウザー先生のご見聞により知ることが出来た。
「切」は骨や角、象牙などを切る。「磋」はそれらを研ぐ。
「琢」は玉や石を叩いて打つ。「磨」はそれらを磨く。
中国最古の詩篇『詩経』に記載されており、細工師の技術や技巧、卓越した技術者が作った細工品の素晴らしさを称える言葉として喩えられた。
・精神や技術、学問、人格、道徳などを磨きあげて向上させていくさま
こちらも素晴らしい言葉だ。
切磋琢磨について、時間を掛けて調べて、ようやく知ることができた。
だが、これらの言葉の本来の意味を知る人達は、どのようにして疑い、知識を得るのだろうか。
僕がなぜ破天荒の意味を知っていたかと問われれば、「破天荒」の意味を調べたことがあるからだと答える。
「は て ん こ う」という日本語は知っていたが、「破天荒」という漢字が当てられることは知らなかった。
もちろん、はじめは「激しそうなイメージ」という言葉の印象を抱いていた。
だが「は て ん こ う」という日本語に、どんな漢字が充てられるのかという興味に唆られて調べた次第だ。
つまり、好奇心のその向こう側に、破天荒の真実が待っていたことになる。
モヤッとしたイメージを形付けるために、日頃から調べるようにすることが思い込みを覆す方法の一つだろう。
もちろん、切磋琢磨のように既に意味が通じて使われている言葉も少なくない。
たまたま識者にその意味を教わることになったが、これは僕が識者と繋がっていたから知ることができた。
本でもTwitterでもブログでもいいが、自分に利益をもたらすようなアンテナを張り巡らすことが大切だと思う。
自分の持てる知識のデータとの差分が顕になり、Google先生の検索により検証。場合によっては知識のアップデートに繋がる。
それが結果的に思い込みを覆し、リテラシーの醸成に寄与すると考える。
ぶっちゃけ、目の前のモノが真実かどうかなんて初めは誰にもわからない。
同じものを見たことがあれば、成否の判断はつくだろう。
だが、それが今この瞬間に正しいと言えるかどうかは定かではない。
常に自問自答を繰り返し、確認作業を怠らないようにすべきだ。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.