結果として、人の善意に漬け込む人は沢山いる。
こちらのGiveに対して奪うことを目論むTakers。
それは友人間の関係でも有り得るし、金銭を通じたやり取りの中でも同様だ。
先日、友人と優しさの度合いについて話し合った。
その出来事と、話し合いの顛末を語る。
優しすぎるということ
先日、友人たちと3人で食事をする予定をしていた。
コース料理を予約しており、久々の再会に胸を高鳴らせて仕事を終わらせた。
するとドタキャンである。
まあそんなことはいいとして、コース料理を予約していたためキャンセル料はかかる。
片方の友人Aは月一くらいで会っており、もう片方Bとは久しく会っていない。
その久しく会っていない方のBからのドタキャンであるため、僕の中で2つの感情が芽生えた。
Takerな自分
今回の食事の目的は、友人Bを囲んだ食事にある。
このBが主役でありボトルネックである。
そのBが来れないとなったら、今回の食事はそれほど意味をなさない。
だったら、コースを予約してキャンセル料も発生するらしいが飛んでやろうと考えた。
コース料理の代金を無駄に支払わなくてもいいが、訴えられたり請求されるリスクがある。
予約したのは僕だからね。
そして友人Aもその選択をするつもりでいたらしい。
Giverな自分
飲食店のコース料理の予約ブッチは、悪だと思う。
昔、飲食店のアルバイトをしていて、そのような経験は何度かある。
ひとつの判断基準として、自分が予約ブッチされる立場だったことを考える。
経営者なら尚更嫌だなあと思うことは間違いない。
第一、友人のドタキャンと飲食店は本来全く関係ない。
そこを結びつけることは少しお門違いだろう。
報われない善意
結果として、僕たちは店に赴いた。
Giverとして、仁義を通しに行くことを選択したのだ。
その結果は、かなり残念なものとなった。
予約してあるコースが出てこない。
加えて、料理の味付けは最悪である。
店員の態度も最悪であった。
選択制の料理を尋ねられずに、「お客様はだいたいこちらを選ぶので」という理由で、決めつけの料理を運んでくる始末。
なんというか、してやられた気分になった。
友人のドタキャンも、店に対する引きの弱さも偶然が、引き起こしたことだ。
だが、店側に裏切られるとは思ってもなかったことが驚きであった。
世間的には、神様面する客はクソだと言われているが、値段に見合った最低限のサービスを提供できない方も、たいがいだと思うぜ。
反省点
確かに、僕は優しすぎたのかもしれない。
あの時ぶっちしていたら、こんな思いはしなかっただろう。
コースの代金も払わずに済んだかもしれない。
冷静になって、再発防止を考える。
コース料理の選択をやめる
そもそも、コース料理という選択が良くなかったのかもしれない。
よくよく考えたら、行ったことのない店のコース料理を頼むことはある意味チャレンジである。
本来であれば、その店の料理を一度は口に含み、咀嚼することが普通であろう。
それができないにしても、席だけ予約して口や雰囲気が合わなかったり、ドタキャンされた時にも対応できるように柔軟な体制をとることが今後求められるだろう。
仮に今回、コース料理を予約しずにドタキャンしたとしよう。
店のオーナーからしたら、来店が決まっている客が来なかったとしても、次々に流れてくる客を受け入れるだけだから、それほど損はない可能性もある。
それなりに駅から近い場所に位置していることもある。
もっと店のリサーチをすること
言い訳だが、訪れた飲食店のリサーチ不足も祟ったと思われる。
食べログで評価されている数字だけをみて、その数字を信じ切ってしまった自分もいた。
ネームバリューがある店でも、食べログの数字が低いということもあり、僕は食べログの数字を信じたのである。
その結果、残念な結末を引いてしまった。
もう少しだけでも、その店のことについて調べれば、異なる未来が待っていたのかもしれない。
僕は優しすぎたのかもしれない。
その甘さを友人Aに叫ばれた。
だが、この選択に後悔はない。
全てにおいて、圧倒的な判断基準を持つことは大切だし、時にはグレーではあっても、合理的な判断も下すことが求められるときがある。
そんなことを、深手を追わない程度のカネで経験できたことは、価値のあることではないだろうか。
非情かもしれないが、非情にならないと行けないときもある。
金は嘘をつきません。嘘をつくのは人間ですよ。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) September 27, 2018
藤沢所長のこの言葉がしみる。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.