今でも声を張り上げて言えるが、小中学生の頃、僕はゲーム星人だった。
正真正銘の三度の飯よりゲームが好きだった。
ゲームをするために生きていたと言っても過言ではない。
親から数え切れないほど怒られ、それでもめげずにプレイした数々のタイトルは思い出が深い。
学校外の時間をかなりゲームにつぎ込んできた僕ではあるが、めちゃくちゃ後悔しているかと聞かれると、そうではない。
それなりにメリットを享受したと思う。
ゲームに長い時間をつぎ込んで得たメリットを語る。
なぜあの頃、あれほどまでにゲームに熱中していたのか。
確かに、友達と公園で警泥や野球、サッカーなどで遊ぶのも楽しかった。
しかし、毎週遊ぶ友達は必ずゲームで繋がった友達だった。
それほどまでに幼き頃の僕を魅了した、ゲームの存在感には理由があった。
振り返ってみるとそれは、現実逃避の道具であった。
当時の僕の学校に対するイメージは以下の通り。
そして、家に帰ってもテレビは親が占領していて、好きな番組は見れないし、大学生のように寝る直前まで友達と遊ぶこともできない。
逆に、ゲームくらいしか僕の娯楽はなかったのだ。
だからこそ、徹底的にゲームをした。
朝は起きて、10分間ゲームをするために、身支度を10分で済ませる。
学校が終わり、家に帰ったら友達と遊んで帰宅。
夕食とお風呂以外の寝るまでの時間はすべてゲームに捧げていた。
だから、新しいゲームの発売日だと朝の3時とかまで夜更かしするようなことはザラだった。
ゲームと並行して、本を読めばよかったなと今では後悔している。
まあでもあの時はあのときで、静かに本を読めるような時間と場所を作ることが難しかった。
そう考えると、読書できる・したくなるような環境は少なからずあるのだろう。
当時は楽しくて夢中になっていたゲームではあるが、省みて良かったことも悪かったこともある。
僕がやっていたゲームは多岐にわたるが、特にロックマン・エグゼはドツボにハマっていた。
例えば、クイックマンという中ボス待ち構えている。
このクイックという単語はもちろん英語のQuickである。
ゆとりで育った小学生の僕は、こんなカタカナの意味などわからない。
だがクイックマンの特徴として、動きが素早くて攻撃を当てづらいというクセがあった。
だからこそ中学校・高校に進学した後でも、名詞や形容詞を真面目に勉強しなくても一発で覚えられる単語があった。
今まで小学生の頃の僕の手によって、たくさん倒されたボスたちにはたくさんの感謝をした。
ゲームは最高の暇つぶしではあるが、あくまでもゲームなのだ。
つまり、難易度やストーリーはゲームを構築したプログラマやシナリオライターの人が作ったものに過ぎない。
死んでもやり直しが効くゲームと、一肉体的にも精神的にも社会的にも一度でも死んでしまったら後戻りはできない現実とは全く異なる。
そう。人生にセーブポイントなどありはしないし、ある日突然力が手に入ることなどない。
現実は、自分の努力を重ねて初めて力を得ることが出来る。
そういう意味で、僕はゲームの中では負けないように経験値を積み、レベルを上げるタイプだった。
負けることが嫌な、ただの負けず嫌いである。
しかし、現実ではどれだけ用意周到に準備をしても負ける時がある。
女修行がその一例だろう。
自分の意志とは裏腹に物語が進んでいく。
ゲームにはまったくない要素だ。
女修行で初めて女に負けた時、僕は狼狽した。
そして、ゲームをやりすぎた自分を少し恨んだ。
だからといって、ゲームに打ち込んだ事実は変わりないし、文句を言っても仕方ない。
ゲームを通じて今の僕に生きていることは、間違いなくPC関係の仕事についたことだ。
ロックマン・エグゼの世界観に魅了され、インターネット人との可能性を羨ましがったかつての自分が、今その仕事に就いている。
ロックバスターを撃ち放ってウイルスを撃退させるような仕事ではないけれど、人々が豊かな生活を送れるように貢献できる仕事をしている。
これは、絶対にロックマン・エグゼシリーズをやらなかったら、この業界に興味も出なかった。
ましてや、ブラックな世界だとわかっていても飛び込むことはできなかっただろう。
僕が10年・20年後にやりたかったことは、実は小学生の頃からわかっていたのかも知れない。
久々にニコニコ動画の閲覧履歴を見ていたときに、ゲーム実況の動画を発見した。
かつて打ち込んだ日々を思い出したくて、動画を見ていたときもあったのだ。
いまは全くと言っていいほどゲームは嗜まないが、暇になったらまたやってみるのもいいかも知れない。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.