「社会人の僕たちは誰と付き合うべきなのだろう」
と、考えたことはあるだろうか。
大企業だと会社の同僚や先輩。
実家暮らしなら、地元の人達とよく交流することが想定される。
様々な選択肢の中から、付き合う人たちを自ら選択して僕たちは生きている。
だが、選択の仕方によっては残念な人生を送ることになったり、つまらない人生を送ることになりかねない。
社会人だからこそ考えたい、付き合う人の選び方について考える。
生まれてからしばらくは、僕たちは付き合っていく人を自由に選ぶことができない。
親バカなご両親のもとで生まれるかもしれないし、自分を生んだものの様々な理由で育児放棄をしてしまう親を持ってしまうかもしれない。
前者か後者かで、まともな人格が形成されるかどうかや、人生をまっとうに生きていけるかどうか差が出る。
そう。
選ぶことができるかできないか、関係なく。
また、保育園や小学校などの教育施設での友人関係も、自由に付き合う人を選ぶことは難しい。
日本だけではないかもしれないが、成人する以前の僕たちはとても限られた世界の中で付き合う人を選ばなければならない。
親がネグレクトだからといって、子供だけの力では肉親を退けて親を交換することはできない。
中学校でイジメられたからといって、やすやすと転校などできない。
だが、社会人は誰とどのように付き合っていくか自由である。
プライベートでは、会社の同期と仲睦まじく付き合っていくこともできるし、大学時代やもしくは中高の青春をともにした旧友たちと、つるんでいく事もできる。
会社の中の人間関係も、昔ながらの企業の付き合いがダルかったら転職することでリセットできる。
もちろん自己責任の足枷を背負うことは必要だが、何もかも自分で選ぶことができるのは社会人の強みであろう。
こういう言い方をすると、お叱りを受けるかもしれない。
付き合っている人のレベルが、自分のレベルだということはよく言われている。
数多の選択肢の中で、自分が選んだ人たちが自分の人生にも大きく影響することを忘れてはならない。
例えば、中学校の時のヤンキー友達と今でも日常的に付き合いがある人は大抵タバコを吸っているし、20代前半で子供を持つ。
その外敵圧力に背き、自分の意思で捻じ曲げることは可能ではあるが、大抵の人はどうにもできない。
それは、村八分にされてしまうリスクが高いからだ。
自分は結婚せずに独身貴族を楽しもうと思っても、周りの元ヤンたちは皆家庭を築いている。
となると、男同士で馬鹿みたいに騒ぐ付き合い方ではなく、嫁さんと子供が混ざった家族ぐるみの付き合いに変わる。
そうなった時、自分は今までどおり関係を持つことができるかどうか。
その判断はなかなかきついものがあるかもしれない。
上記のライフスタイルに満足する人はそれでいいかもしれないが、全員が全員そうではないだろう。
となると、どのような基準で付き合う人を選ぶべきなのか。
付き合う人の基準は、その付き合う人が人生のロールもであるであることが望まれる。
自分のやりたいことがある人は、そのやりたいことの頂点の人を真似すればいい。
過程を持ちたいのならば、家庭をもつことを望んでおり、婚約を見越したガールフレンドをもつ友人と関係を深めると良いだろう。
だが若い僕たちは、将来に渡ってどんなことをしていたいのか、さっぱりわからない。
そういう人は、カネと女を追いかけるべきである。
そう、藤沢数希所長は仰った。
つまり、付き合うことで自分の社会的価値を伸ばすことができる人や、女性とセックスがたくさんできるような人とつるむことで人生が豊かになるという。
だからこそ社会人になって付き合う人は、相手の仕事の現状とキャリアを鑑みて、自分なりのアドバイスをしてくれる人を大切にすべきである。
また、華金や休日にはナンパを共に楽しめる友人に誘ってもらえるような振る舞いも必要であろう。
それ以外は一切付き合わない。
もちろん無駄に3万円以上かかる結婚式など、参加しなくてよろしい。
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自分の人生を豊かにしたければ、それを邪魔しない人たちを選ばなければならぬ。
実際、こんな感じで友人を整理して友達が減った。
だが、何も苦しくもないしむしろスッキリした。
そいつと会うことで、遊ぶことで僕はカネを稼げるようになるのか。
女性にモテるようになるのか。
その2つの軸で選んだ友達に最大限の奉仕をし、信頼を築いていけば人間関係の肩の荷は降りる。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.