運命
について考える去年あたりから、「結婚ラッシュ」なるものが個人的に来ている。
高校や大学の友人が、幸せの門出()をするための儀式を開き、多くの祝福を浴びる。
僕は今までで2回結婚式に出席したことがあるのだが、耳にタコができるほど運命という言葉を聞いた。
「運命の出逢い」。
それなりの女修行をした男からすると、どんな素敵な女性だろうが出逢い方には全くこだわらないだろう。
それよりも出会った事実を大切にする。
「運命」という言葉に秘められたパワーと、その言葉とうまく付き合う方法を考える。
この運命という言葉は女子のネットワークの中では、とても重要なキーワードである
に思える。
漫画やドラマである、ありそうでありえない異性とのロマンチックな出逢いや別れを、嫌う女性は少ないはずだ。
例えば、同じ人が出逢うにしても場所やシチュエーションはものすごく大切だ。
あなたなら、どちらの出会いに運命を感じるだろうか。
この出逢い方は運命要素は少しあるが、少し分が悪い。
なぜならば、ナンパだから。
自分じゃなくても、そのナンパ男の隣には、違う女の子が居た可能性が往々としてある。
自分じゃなくてもいい可能性があることは、よくわからない運命という引力によって吸い寄せられた二人という筋書きは通用しない。
そして、女友達に堂々と自慢できないことも関係するだろう。
仮に、自分が女性の立場だとする。
大好きな彼氏が、道端でナンパで出会った男だとはなかなか言えないのではなかろうか。
その理由の一つとして、彼女である自分自身が、ナンパされるような軽い女と同性から思われてしまう可能性があるからだ。
加えて、場合によってはその女友達から何かしらガヤが飛んでくるかもしれない。
故に、ナンパでの出会いは女性の世界において微妙かもしれない。
この出会い方は運命要素はあるにはあるが、女性側から見ると割と少ないかもしれない。
なぜなら、男性も女性も「出逢いたい」という気持ちが見え見えだからだ。
ナンパやカフェとは異なり、女性自身も「いい人を見つける」つもりでマッチングアプリを使っている。
「運命」という言葉が持つ、
「自分が何もしなくても、運命の男性が迎えに来てくれる」
というストーリーはこの場合完全に存在しない。
出逢うべくして出逢うために、女性も男性も動いているのだ。
しかしナンパとは異なり、心の不快さはだいぶ削ることができる。
それは、男性とコミュニケーションを始める前にプロフィールを知ることができるためだ。
相手の顔はもちろん、学歴や年収、好きなタイプや将来の展望などの事前情報を手に入れることができ、メッセージを返すかどうかを見定める事ができる。
独断と偏見ではあるが、僕は一番この出会い方が好きだ。
理由は男性も女性も、出逢うために時間やカネを注ぐことなく出逢う可能性があるから。
ナンパやマッチングアプリは、異性と出逢いたいという気持ちが動機となり、僕たちを行動させる。
対して、カフェは「出逢い」以外の目的で訪れる。
この出会いの目的が無いのにも関わらずに、コミュニケーションが始まることが運命度を引き上げるのだ。
人と人がコミュニケーションを図ることに理由なんて必要ない。
自然な流れさえ作ることができれば、より運命っぽさを感じることができるだろう。
そして、彼女も友達に胸を張って自慢できることだろう。
女修行をしていると、罵詈雑言を浴びることはよくあることだ。
だが、抱いた後に心の底から喜んでくれる心の綺麗な女子がいることも事実だ。
出逢いに困っているが、マッチングアプリをインストールするアグレッシブさを持ち合わせていなかったり、かといって合コンや街コンに行く気も起きない。
そんな女子たちに僕たちは選択肢の一つを提供しているのだろう。
もちろん、怖かったりキモかったりしたら、罵声を吐いてもらって構わない。
一縷の運命がそこにあるなら、僕たちはまた街に出ることが出来る。
運命というキーワードに基づいて、出逢いの段階から設計できる人はさぞかしモテるだろう。
実際、カフェでたまたま
声を掛けると話が盛り上がったりする。
その後発展するかどうかはまた別の話だが、会話できるかできないかは大きい。
また新たに運命っぽさを考え、修行で実践できたらなと思う。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.