日本人には、どうやら気に入らない人や、なにか間違いを犯した人に対して、村八分にしてしまう文化があるようだ。
その事実は、日本の史実であるという論拠がある以上、見過ごせない問題である。
現代ではいじめとしてその爪痕を残している。
中学校をはじめ、社会人になってもこのいじめを通じた村八分は後を絶たない。
経験したことのない人は意外と多いのだが、この村八分の問題はただごとではない。
村八分とは
村社会の秩序を維持するため,制裁として最も顕著な慣行であった絶交処分のこと。
村全体として戸主ないしその家に対して行なったもので,村や組の共同決定事項に違反するとか,共有地の使用慣行や農事作業の共同労働に違反した場合に行われる。
村八分の被害を被る人は、最悪の場合死に至る場合もある。
そうなってしまった時、自分だったらどうするのだろうか。
僕自身の村八分の功罪の話を語る。
僕はかつて村八分を経験したことがある。
肉体的・精神的に特定の誰かに苛められたわけではないが、村全体に圧力を受けた経験だ。
そのきっかけは、僕の恋愛の話に紐づく。
略奪愛について、あなたは知っているだろうか。
一組のカップルから、どちらか片方の異性と第三者が付き合うことを意味する。
プロセスがどうであれ、元のカップルの示談が成立する前に、結果として異なる人と付き合うことで、客観的に略奪愛と表現される事がある。
学生時代に、この経験をしたことがある。
事の顛末を説明しよう。
彼女と僕は同じ塾のクラスメイトであった。
親交としては2年以上あり、恋愛工学的には完全に友達フォルダである。
そして、同じクラスメイトにKという男性の友人とTという女性が居た。
登場人物は僕を含めてこの4人。
結論ありきで話すと、まず彼女とKが付き合った。
その事実に対しては、一抹の感情が湧いていた。
正直、女性からも男性からもいい意味で虐げられているKが女性と付き合うことに負けたなと思った。
その相手が誰であろうと、1抜けされたなと感じていた。
僕としては、幸せになれるように後押しできていればいいなと思っていた程度である。
ところが事態は急変する。
普段特に連絡を取らないTから一通のメールが届く。
「いまKと付き合っている彼女は、レダくんの事が好きなんだよ」
当時、特に恋愛に気を入れていなくて、彼女も作る気がなかった童貞の僕にとっては朗報であった。
「こんな簡単に女の子と付き合えるのか。」
と舞い上がった。
素直に、僕のことが好きだと想ってくれている人がいる事実に心が動いた。
そして次の日、身体を動かした。
塾の近くのコンビニの裏で、欲にまみれた自分の気持ちを打ち明けた。
「付き合ってほしい」
返事の内容は言うまでもなかった。
こうして、略奪愛の物語はハッピーエンドを迎えることを全俺が待ち望んでいた。
さてここから村八分の話。
コスパよく彼女を手に入れた僕でありますが、もちろん納得がいかない登場人物が居ます。
そう。元彼K。
僕は彼女と付き合うことをKに伝えた。
彼女はKとどう折り合いをつけたかはわからない。
ただ一つ言えることは、Kは僕が行ったことを赦してはくれなかった。
具体的には、略奪愛という言葉を使って、知らない間に塾の友人たちの僕のイメージを塗り替えた。
レダは人から女を奪うような悪い人だと。
当時の僕は、それくらい大したことないと思っていた。
だがそうではなかった。
理由は、彼女が別れを告げてきたからである。
なんとも女に振り回されただけの笑い話だが、ここでまた一つ女について学んだわけである。
村八分にされるような男は、女からするとバリューが低いようだ。
恋愛工学的に捉えると、圧倒的にβな状態である。
確かにβな男の遺伝子を残す価値はないのかもしれない。
女とは怖いとしか印象を受けなかったが、恋愛工学の理論を頭に叩き込むと気持ちいいくらい理解できた。
女性はコミュニティのαなポジションに立っている社会性の高い男性を好み、そうでない男性を好まないということ。
当時の僕は「塾」というコミュニティの中で圧倒的にポジションが低い立場になってしまった。
同調圧力による村八分の恐ろしさを身にしみて感じたのである。
だからといって、いい経験を早いうちに積むことができたから後悔はない。
この経験から学んだ教訓は、女性と簡単に付き合ってはいけないということである。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.