僕はゴジラというコンテンツに触れたことがなかった。
ゴジラといえば、恐竜のような怪獣をイメージする。
知能によって行動が裏付けられる訳ではなく、本能の赴くままに地を這いずり回る。
ポケモンで言う「はかいこうせん」なるレーザー光線を巨大な口から放つことも出来る、事実上最凶の生命体と言っても過言ではないだろう。
そんな特徴を知ることが出来るだけのストーリーだと高を括っていた。
そんな、ゴジラに関して無知の状態で『シン・ゴジラ』を鑑賞した。
その感想を纏める。
こんな人にオススメ
- エヴァンゲリオンが好きな人
- マネジメントを学んでいる人
- 特撮が好きな人
全体の所感
この映画を一言で表すと、
「現代にゴジラが現れたら日本はどのように戦うのか?」
である。
ゴジラを倒して勝つことだけが正しさじゃない。
強大な敵に対しては、武力でさえちっぽけなカードでしかないのだ。
そういった意味で、ゴジラとは何か知らない人でも十分楽しめる映画だと僕は感想を抱いた。
120分にまとめられており、映画を観賞するには十分なボリュームである。
それでは、『シン・ゴジラ』の感想。
今風なリアルさがいい
舞台は現代の日本。
スマートフォンを耳に添えて連絡を取り合うシーンは、僕たちが日常的に行っている仕草と言える。
ゴジラに攻撃を仕掛けるために、JR東日本の車両を無人爆撃機として使われるシーンがある。
中央線・山手線・京浜東北線など東京に住んでいる人には、おなじみの列車が登場する。
クオリティの高いゴジラのCG映像と、実際に僕たちが住んでいる街並みの生々しい描写が、如何にも現実にゴジラが現れそうな世界を表現する。
映画だとわかっているけど、映画じゃないかもしれないと錯覚してしまいそうになるところが、『シン・ゴジラ』の見どころの一つと言える。
国の意思決定のプロセスが分かる
国の治安を脅かす脅威に立ち向かう組織は、国の機関が指揮を執る。
映画の中では特に、意思決定までの過程が多く感じるように描かれている。
ゴジラは東京都内に侵攻を進めることから、意思決定のスピードは前代未聞の速さで求められる。
会見や会議を開いている間に状況が変わり、その会合がおじゃんになる描写も描かれている。
民主主義の精神に則り、皆の合意を得た回答を得ることはとても素晴らしいことだと思う。
だが、多くの人の命を脅かす脅威との攻防が1分1秒で繰り広げられる世界の中では、少し遅すぎるように見えた。
人の命を左右する大事だとは思うのだが、一人の命を救うために一人以上の犠牲を払うリスクを背負う選択を適切に下すためには、時には独断による判断も必要なのだと感じた。
国が動くためには法律が必要だということ
この映画を見て初めて知ったのである、どうやら日本という国が動くためには法律が必要なようだ。
確かに東日本大震災のときや今年起こった平成30年7月豪雨のときも災害救助法なる法律のもと、適切に災害支援が施された。
しかし、ゴジラのような超巨大生命体による被害は自然災害や天災でもない。
故に『超巨大生命体対策法』なんて法律は無いわけである。
そのような未知の出来事に対して、日本の政府がひどく蹉跌する描写が印象に残る。
結局映画の中では、ゴジラを手中に収めた後に立法化する強硬策をとったが、このような決断を下せるだけの官僚が存在するのかは疑わしい。
今回は国であったが、大きな組織を動かすためには、どうしても時間がかかってしまうさまがよく見て取れる。
公務員という職業がイメージできる
大学時代、働くこと対してビビっていた知り合いは口を揃えて公務員を目指すために勉強していた。
理由を聞くと、将来安泰で労働時間の安定が保証されるからだと教えてくれた。
それは表面的な公務員という職種の一点のメリットでしかない。
もちろん、それ相応の対価も存在する。
最近でこそ自然災害が多発して、地方の公務員の方は苦労されている姿をよく見るが、本来は日本国という国のために働く仕事である。
自分の時間や家族をも頭の中から振り払って、国のために働かなければならないときもある。
決して、楽な仕事ではない。
特設されたチームの仲間とゴジラを何とかするために、不眠不休で務める姿をみて僕自身も今一度考えさせられたのであった。
いざ自分が同じ立場に立ったとしたらどんな行動を取れるのかは分からない。
でも、リスクを取って誰かのために体を貼れるような人間でありたいと思えるような映画でした。
明日も更新するから待っててちょ。
あでぃおす。