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# 【映画】ボヘミアン・ラプソディの中でフレディ・マーキュリーが教えてくれた3つのこと

Twitterと巷で、『ボヘミアン・ラプソディ』がアツい。

Yahoo映画の評価も4.6 / 5と高く、『君の名は』よりも良い数字を叩いている。(2018年12月16日 現在)

ボヘミアン・ラプソディ(2018)あらすじ、評価レビュー 10464件、上映時間、予告編、作品詳細。出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボーイントン 他。「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった数々の名曲で知られるロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記ドラマ。華々しい軌跡の裏の知られざる真実を映す。
ボヘミアン・ラプソディ - 作品 - Yahoo!映画 - Yahoo!映画

あらすじとしては、主人公フレディ・マーキュリーがバンドQueenと共に成長する姿が描かれている。

ぶっちゃけ映画の途中までは、一人の男の成り上がりストーリーが描かれており、つまらない印象を抱く人も少なくないと思われる。

成功ストーリーは、どこの映画にも小説にも星の数ほど書かれているし、それがこの映画の見どころではない。

ボヘミアン・ラプソディの中でフレディ・マーキュリーが教えてくれた、人生を豊かにするための3つのことを語る。

自分が関わる女性を大切にすること

ストーリー序盤から主人公の青年「フレディー・マーキュリー」は、当作品のヒロインである「メアリー」と接触する。

👱‍♂️(フレディ)「I like your coat.(君のコート素敵だね。)」

この言葉で会話をオープンさせ、会話を続けていく。

まだ何者でもないフレディが、メアリーと一緒にバンドを鑑賞するパブで同席していた頃は、完全にメアリーにマウントを取られている様子が伺える。

空港で肉体労働をするだけのフレディーには、異性としての価値を見いだせずにいるのも無理はない。

フレディがバンドに加入し、ボーカルとしてバンドを引っ張る姿に惹かれて、メアリーとフレディは関係を持つことになる。

超絶多忙なツアーの真っ只中でも、時間を見つけて彼女と電話をしたり、彼女が想像もつかないようなサプライズをしたりする描写が何度も登場する。

ただ好きだと言葉で愛情表現するわけではなく、行動で彼女への愛を示す姿はとても紳士的である。

結果的に、彼女はフレディと「男と女」の関係に終止符が打たれる。

フレディが異性愛者ではなく、同性愛者(ゲイ)であることを悟ってしまったからだ。

フレディとメアリーは物語のクライマックスまで「友達」の関係が続くが、最も印象に残ったシーンがある。

フレディがソロ活動の仕事をするために、一人でスタジオに篭っているときだ。

2枚のアルバムを一人で作り上げる苦行をしている際に、突然メアリーとフレディが邂逅する。

明らかに生気を失ったフレディを見たメアリーはこう言い放つ。

👩(メアリー)「いま、あなたの周りにいる人たちは家族じゃない。誰もあなたのことを気にかけていない。」

昔の妻ながら、元夫のことをここまで気にかける事ができるのは普通ではない。

それはひとえに、フレディがメアリーのことをモテコミットし続けたからであると思う。

その後、フレディは人生の舵を切り直すことになるが、自分が関わる女性に対しては大切にしたほうが良いという学びがあった。

家族には正直でいること

主人公のフレディー・マーキュリーは、ご両親から見るとは典型的な反抗期のムスコであった。

いかにも生真面目で亭主関白そうな父親と、毎晩夜遊びをするような青年。

とても「仲がいい」とはいえない家族関係が描写されていた。

職場では馬鹿にされ、家にも居づらいフレディは、それ以外の場所で居場所を作った。

それが音楽であり、バンドである。

彼にとって、バンドはただの趣味嗜好・仕事仲間ではなく、間違いなく家族だった。

人の道を踏み外そうとしたときや曲が納得行かないとき、そして頭を丸めて帰ってきたときに、真正面からフレディを受け止めたのは紛れもないバンド仲間たちだ。

物語の後半、フレディは「バンドの利益分配の闘争」に嫌気が差し、一度Queenを抜けてしまう。

そのタイミングでフレディにはソロ活動をする誘いが来ており、オファーも破格だったという。

結果として、彼は戻ってくるのだが再加入の有無を決める残存メンバーたちは門前払いをしなかった。

普通に考えて、一人だけいい思いをして、抜け駆けをして、裏切った人に対して、いい思いを抱くことはとても難しい。

これはバンド側もフレディを必要としており、同様にフレディもQueenを必要としていた。

結果、需要と供給が一致したようにも解釈することができるが、長年家族のように付き合ってきた仲だからこそ、彼の行いを赦すことができたのだと僕は解釈した。

友情と言ってしまえば軽い言葉になってしまうが、幾度となく苦難を乗り越えた仲間に対しては、特別な感情を抱くことも不思議ではないだろう。

あらゆることに向き合って、時には喧嘩をして、少しづつ進んでいくQueenの姿に感動した。

自分を受け入れて、誰かのために生きていくこと

物語の最後、フレディはメンバーに対してこんなことを告げる。

自分がエイズ感染者であること。

寿命が長くないこと。

そして、命尽きるまで曲を作り続けること。

それは悲しい遺言ではなく、限られた時間の中で今一度Queenの活動方針を定義する話であった。

その事実にショックを隠せずにいるメンバーもいたにも関わらず、フレディは終始笑顔だった。

誰よりも悩み、苦しみ、どうにもならない人生のピリオドを知ってしまったはずのフレディは、とても自信に満ち溢れ、一点の曇もない表情だった。

その後Queenは、「ライブ・エイド」と呼ばれる、1億人の飢餓を救うイベントのライブに出演する。

タイトルのボヘミアン・ラプソディやWe Are the Championsなどの生演奏を通じて、Queenと会場の観客に一体感が生まれる。

この最後30分のストーリーが、最も胸に刺さり、最も印象に残った。


フレディ・マーキュリーはエイズで死んだ。

時代が違えば、生きていたのかも知れない。

時代が違えば、もっと生きやすかったのかも知れない。

時代が違えば、彼の性癖も受け入れられたのかも知れない。

だが彼が同性愛者でエイズで死んだからこそ、伝説となった。

彼の死が、彼の生きた軌跡が、多くの人に勇気を与えた。

この時代だからこそ、僕もこうして映画を見て、感動を抱いたのかも知れない。

僕は異性愛者だが、この映画を見てよかった。

明日も更新するから、待っててちょ。

Adios.

レダ