本を読む人、読まない人。
どちらが魅力的だろうかと問われた時、きっとが前者を選ぶひとが多いんじゃないだろうか。
僕ももちろん前者を選ぶ。実際、今まで僕がいい関係を築けている友人は、みんな読書家だ。
読書の方法や読む本のジャンルは人それぞれ異なるだろうが、本を買う人と買わない人。ただ、それだけで全く異なる人種だと僕は考える。
たった1冊ウン千円の本から読み解く、人の潜在意識について考える。
本を買うこと。つまり、身銭を切って本を手にする経済活動をする。
本は道具のように、今すぐ使える知識や技術が詰まっているものがある。
それは今すぐ買う価値があると思うが、長い目で見て花が咲くような、今すぐには効果が期待できないようなものもある。
そんな本をなぜ買うのか。それを買う人は、カネを削っているマイナスなイメージを抱いていないからだ。
本は投資という言葉がある。貸借対照表で言うところの、カネという資産を減らす経済活動ではない。
教養や知見、技術といった資産を増やす行為である。たった1,000円ちょっとの本が、想像もつかないような富をもたらす原資になりうる可能性は大いにある。
プログラミング言語を学んで、自分でサービスを立ち上げたり、それで仕事をするとしよう。それで投資回収である。
つまり、本を買う人はカネの使い方に鋭いと捉えることができる。
本を買うことは簡単だ。だが、読み切ることは誰でもできることじゃない。買ったことに満足して、積ん読している人も山ほどいる。
僕たちは忙しいから、本を読む時間を捻出する。僕は貧乏人だから、本のためのカネも捻出する。
それが当たり前になるとどうなるのか。こうして、削りに削った時間やカネに対して、本の費用対効果が悪いことは結構ある。
それは、僕たちが想像していた本の内容との齟齬があったり、自分自身の一読者としてのレベルが低くて合わなかったりしたケースだ。
だが、たかが1,000円ちょっとの投資で知見が広がり、面白い人と出会えるかもしれないし、自分の人生の新たな1ページが下書きされるかもしれない。
もしかすると、とんでもない費用の請求に対応できるリテラシーが身につくかもしれない。
だからこそ、仮にいい本と出会えなくても、「まあ、1000円だし良いか」と思えるようになる。
次第に、心に余裕が出てくるだろう。
本は、非常に価値の高い洗練された情報のソースだ。だからこそ、そのアクセス方法を一度知ってしまうと、いい意味で中毒になり虜になる。
好きな作家さんもできるだろうし、自分の好きなジャンルも改めて知ることができるだろう。
本はそんな知的好奇心が旺盛な諸君を満たす、最高の世界だ。当たり前だが、本を読む人は知的好奇心が旺盛だ。
現状に満足せず、貪欲に知識を求める。
つまり、本を買って読書をする人は、何かに対して頑張ることができる人だと捉えることも可能だ。
もう一度言うが、本を買って読書をすることは簡単だが、簡単ではない。それなりの熱量と好奇心を持てないと続かないし、内的モチベーションも出ないだろう。
だからこそ、読書家は地道な努力ができ、向上心があると捉えることができる。
僕が知っている本当の金持ちは、人のためにカネを使い、会う人のために身体も心も常に健康を維持しようと心がけている。
その感覚の一つとして読書も入るそうだ。自分が本を買って情報を得る代わりに、著者がまた本を書けるようにカネを支払う。
その本が良ければ、またその著者をフォローして新書を買うだろうし、合わなければ違う本を買うだけだ。
Giver精神が宿っているのである。
汚い貧乏人は、金持ちを羨み、妬み、文句を言い並べるだけ。僕はそうならないように日頃から清貧を名乗れるよう心がけている。
本を買っているか、読んでいないかで人となりを見ることができる。それは育った環境にすごく依存するが、一人で生きていくようになれば、いくらでもその環境を変えることができる。
どれだけ本を読めば、人生が豊かになるなんてことは口が裂けても言うことはできないが、人生を豊かに過ごしている人は必ずと行っていいほど本を読んでいる。
この事実をどう捉えて、どう生きていくのかは、貴方次第である。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.