今まで生きてきた中で、誰しもが1人くらいはお世話になった人が居るのではないだろうか。
その方に敬意を払った言葉は人それぞれちがっていて、「先生」かもしれないし「師匠」かもしれない。
そんな上司や仕事を通じた先輩は、果たして今でもあなたと繋がっているだろうか?
僕はかつて、スーパーボスと邂逅した。
激務薄給の大・貧乏人時代を過ごす中、「この人からもっと学びたい」と思えるような先輩社員と巡り会うことができた。
スーパーボスはカネなんかよりも、もっと大切な何かを持っている人だった。
当時はその何かを言語ができなかったが、今ならできると思いキーボードを執る。
給料なんかより、ウン百万のボーナスなんかよりもっと大切な、スーパーボスから学んだことを語る。
スーパーボスとは?
業務における絶対的な権限を持つ人をボスと呼ぶのであれば、スーパーボスとは何か。
僕はそれをこう定義したい。
常に部下の成長を観測し、分野を横断して試練を与え事ができるボス
スーパーボスは無駄なことをしない。無駄に怒ることもないし、無駄に褒めることもない。
もちろん無駄な会話もしない。
僕たちの一言一句に耳を傾け、細かい仕草まで行動を目で配る。
言い放った一言一言には、僕のような歩兵が理解しきれないところまでの意味合いが詰まっている。
スーパーボスの教育方針
スーパーボスの教育方針はさまざま。本当に歩兵一人ひとりに合わせた最良の方法を選択する。
普通、仕事では怒られることが当たり前だと思うが、僕はスーパーボスに怒られたことほとんどがない。
その理由は定かではないが、僕の成長エンジンは「叱る」ことではないとスーパーボスが判断したのだろうと推測する。
そのかわり、事あるごとにチクチク指導を受けた。
- 言葉の使い方
- 目上の方への態度
- メールの書き方
- 資料の作り方
- 始業前の掃除
- 来客へのお茶出し
- 名刺の渡し方
同期や先輩社員が居るときや、居ない場所で伝えられる時。それはTPOを鑑みて選ばれる。
これらの社会人として基本的なことは、特に徹底的に叩き込まれた。
スーパーボスの指導方法
僕のスーパーボスの指導方法は必ず、「自分で経験すること」を求めた。
例えば、お客様への挨拶の時。
普段は私服をきてプログラムをカタカタ書いている僕でも、スーツをキメてクライアントに営業をすることがある。
初めてクライアントに挨拶する場面では、僕一人で挨拶してこいとの旨をスーパーボスから受けた。
営業なんてやったことないし、クライアントのおじさんと何を話したら良いのかもわからない。
話の進め方もわからない。が、やるしかない。
営業担当の先輩社員に話しの組み立て方や、立ち振舞いをヒアリングしたり、本屋インターネットで詰め込む。
その上でお客さんとの挨拶のフィードバックを、スーパーボスに伝え、教育を受ける。
失礼なことを僕がやらかしたとしても、フォローしてくださった。
事前フォローではなく事後フォローで対応できるくらいの関係性を、スーパーボスはお客さんと既に築いて居たのである。
そのお客様との距離の取り方ですら、僕の大切な教訓になっている。
僕が記事を書き始めたきっかけ
僕は何度かスーパーボスに噛み付いたことがある。
終電で帰れないような超絶デスマーチの繁忙期のとき、スーパーボスからとある事を求められた。
3000文字の記事を1週間で2本書くこと
とのことだった。
残業代はでないし、プロジェクトの納期はヤバイし、エンジニアの僕になぜそのような問を投げかけたのかは、当時の僕にはわからなかった。
なにより、エンジニアの僕が記事をやらなければならないのかがわからなかった。
その理由を知りたくて、スーパーボスに質問したところ、怒られたわけだ。
「人員配置を最大限考えた上での業務命令だ。お前に口答えされる筋合いはない」と。
まさにそのとおりだ。僕は勤め人。
形だけっ見ればご主人様の命令こなす人。
だが、スーパーボスが無駄なことをは絶対にやらないということを僕は知っている。
そのスーパーボスの言葉を信じ、愚直に記事を書いた結果。
自分が物を書くことが好きだと知ることができた。
プログラム以外にモノを書くことの楽しさを知ることができた。
その経験がなければ、あの時を思い出してこのブログを立ち上げることもなかっただろう。
ひょっとして、スーパーボスは僕がモノを書くことを知っていたのだろうか。
先日、スーパーボスとの再会を果たした。
相変わらず、社外の僕に対して厳しいお言葉をかけて下さった。
もう僕は彼に利益をもたらすことなどないはずだ。
なのに会って下さった理由は、僕がバカ息子だからだそうだ。
その真意は今の僕にはわからないが、わかったときにはスーパーボスの利益につながるような働きを「従業員」以外の形で提供したいと思い描いている。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.