あなたは10年後どのように生きているか、想像できるだろうか。
実際、どう生きているかは想像することは難しい。
ここ数年で僕自身、考え方も変わっているし、住む場所も変わっている。
少なくとも10年前の僕は、自分がひとり暮らしをしているとは想像できなかった。
ましてや、車に乗らないような生活をしており、プログラマとして私服で勤めていることなんて言語道断である。
というのも、先日、後輩の新卒子ちゃんに割と重めな質問を頂いた。
「20年後にプログラマは必要とされなくなるのか?」と。
回答としては、その場で即答したがその際に10年後について洞察する機会を得たと捉えることもできた。
10年という長い先の世界と、自分の未来像について考える。
10年後、プログラマは必要とされなくなるのか。
この回答に対する答えは、Noだ。
そもそも、10年後の世界に乗り込んで、自分の目でその世界を見たわけでもないのにただ断言されても微妙である。
無駄だなと思われていた仕事でも、根強く残っているものも少ない。
仮にプログラマの職業を奪うものがAIだとすると、AIを作り出し、メンテナンスをする人たちがプログラマだと考えられるためだ。
ソースコードを読むことができるのも、データ入れる箱の仕切りを作ることも、プログラマを始めとするエンジニアである。
もっと具体的な話をすると、じつはプログラムを書いてシステムを構築することは難しいことではない。
プログラマの本当の仕事
プログラマの仕事はプログラミング言語をただ書くことではない。
最もプログラマを悩ませ、解の難易度を高めていることの一つは、設計だ。
コードの書き方から処理のさせ方、メンテナンスのし易いようなクラス設計や、サーバーの負荷を考慮した設計などを考え、実行することが最も難しい。
故に、AIがコードを書き、システムを作ることはできないことはないと思う。
だが、それが最適な答えとは限らないのだ。
動けば良いプログラムは誰にでも組む事ができるが、持続的な開発・保守性が高いプログラムは素人では書くことができないだろう。
明日、プログラマという職業が代替されるとしたら
もし仮に明日、シンギュラリティ(技術的特異点)が訪れてAIにプログラマの職が代替されたとしよう。
果たして、彼らの人生は詰むのだろうか。
答えは否だろう。
プログラマとして、毎日直向きに開発に向き合っていた経験は他の業界でも通用するはずだ。
必要な情報を自分の言葉でまとめることから、見やすさ重視の資料作り、自分で得た知見をブログやSNSなどを通じて発信する能力。
プログラマという職業を通じて得られる、小さなスキルの数々には枚挙に遑がない。
そして、どんな仕事をする上でも必要とされる当たり前のスキルをつける機会もオープンに存在する。
新たな業界の仕事に取り組むにしても、はじめは苦労するかもしれないが、いつまでも後塵を拝するポジション取りをするようなことは無いだろう。
将来の自分の描き方について
先に述べたとおり、10年前の僕は今の僕を想像できていなかった。
かつては中高生時代。未成年だったがゆえに社会人の自分のイメージを作ることが難しかったことは一理ある。
ただ、これからの10年先を迎えるにあたって、目標を立てることは大切なように思える。
例えば、プログラムを書くことが好きな人が居るとしよう。
彼の目標が、「10年後もプログラミングをして食べていく」ことだとする。
であれば、手段は難しくない。
最新の技術を学び続けていけばいい。
それが仕事を通じてでも、仕事外でも好きであれば学び続けることができるだろう。
そして、AIをメンテしたり開発するエンジニアになることも目に見える。
ここで大切なことは、自分の進む道が必ずしも他人と同じではないということだ。
だからこそ、ほんとうの意味で自分自身と向き合う必要がある。
10年という長いスパンで見たときに、自分が本質的にやりたいことや、なりたい姿を描くことができれば、職業も関係なく目的達成に向けて走ることが出来る。
ぶっちゃけ、僕は今エンジニアとして勤めているが、将来的には全然エンジニアじゃなくてもいい。
スーツを着用しずに仕事ができるなら、職には特にこだわりはないのだ。
こんなくだらないことでも、僕にとっては大きなことだ。
自分の気持に即した将来像を持ち、目標を立てたほうが、達成確率は全体に上がると自負している。
10年後の未来なんて、正直どうなるかなんて誰にもわからない。
ただ、わからないといって逃げるんじゃなくて、「自分ならどうなりたいか」を考える事から始めたら、見えてくることがあるんじゃないかな。
明日も更新するから、待っててちょ。
Adios.